ソウル市内のある大学の講義要綱(シラバス)に登場した一文が、オンラインコミュニティで大きな話題となっています。「親が成績に異議を唱え、正当な理由がない場合は、当該学生にF評価を下す」という内容です。これは単に厳格な教授の宣言と片付けるには、その裏に潜む大学社会の切実な断面が垣間見えます。成人した子の履修日程や成績まで親が直接管理しようとする現象が、限界点に達したというシグナルとして読み取れるからです。
大学の教室まで忍び寄る親の影
講義要綱は教授と学生の間の、一種の契約書のようなものです。しかし、この公式文書に親の介入を警戒する条項が入ったという点は、示唆するところが大きいです。実際、現場の教授たちは保護者からの電話に悩まされることが少なくないと口を揃えます。「うちの子は引っ込み思案なので出席確認の際は特に気遣ってほしい」とか、「成績がなぜこうなったのか納得させてほしい」といった要求が続いています。
かつては小学校や中学校で見られた光景が、今や高等教育機関である大学へと移ってきたわけです。学生自身が問題を解決し、教授と疎통すべき場面で親が代弁者のように登場することで、大学教育の本質さえ揺らいでいるという指摘が出ています。自らの選択と結果に責任を持つことを学ぶべき時期に、親という巨大な盾の後ろに隠れてしまう学生が増えている点が、問題の本質です。
責任は他人に、権利は親の力で
卒業要件を満たせず卒業が危うくなると、学科事務室に親と一緒に抗議電話をかけ、訴訟まで口にする事例は、現在の大学が置かれた状況を赤裸々に示しています。本人が履修すべき科目を把握していなかったミスを、「学科事務室が事前に知らせてくれなかったせいだ」と転嫁する論理です。規定上、事務室には学生個々の履修状況をいちいち通知する義務がないにもかかわらず、親の力を借りて圧力をかける手法が選ばれています。
こうした現象は、特に若手の教授や、相対的に声を上げにくい助教などに対して、より露骨になることもあります。大学内で解決しなければ、教育部に直接民願(苦情)を入れ、大学側に公文書を送らせるという戦略をとることもあります。これは正当な異議申し立てを超えた、一種の威力行使と見なさざるを得ません。学習の主体であるべき学生は消え、クレーマーとしての保護者だけが残った形です。
「ヘリコプターペアレント」のレーダーは大学院を越え就職まで
過保護の領域は、学部の成績を超えて大学院進学や進路相談にまで拡張しています。教授の研究室に電話をかけ、「うちの子が修士課程に入るには何を準備すべきか」と尋ねる親たちも登場しました。子の将来を案じる気持ちは理解できますが、研究者としての資質と独立性が生命線である大学院課程においてまで親のガイドに依存しようとする態度は、懸念を禁じえません。
このような環境で育った学生は、社会に出てからも自ら判断を下すことが困難になる可能性が高いです。企業の採用担当者の間でも、新入社員の親が会社に電話をかけ、業務の厳しさや福利厚生を問い詰める事例が少なからず聞こえてくることと軌を一にしています。大学時代に経験すべき試行錯誤と葛藤解決のプロセスを親が代行することで、肝心の学生は自立の練習機会を奪われているのかもしれません。
自立と保護の間で迷走する大学文化
結局、講義要綱に登場した「F評価」の警告文は、教授が学生たちに投げかける最後のアピールに近いものです。「自分の成績と学校生活について自ら責任を持ち、直接対話しなさい」というメッセージなのです。大学は単に知識を伝達する場所ではなく、一人の個人の社会的自立を助ける最後の停留所の役割を果たすべきです。親の過度な介入が続くほど、学生が得る結果は本人の成就ではなく、親の成就になってしまう危険性が大きくなります。
今必要なのは、保護者の節制と学生の勇気かもしれません。不当な結果に対しては自ら論理を組み立てて教授と対面し、自分のミスに対しては手痛い結果を受け入れるプロセスが不可欠です。大学側もまた、理不尽な苦情に対しては断固とした原則を貫くことで、大学が幼稚園ではなく知性の殿堂であることを証明すべき時です。親のヘリコプターのプロペラ音が止むとき、ようやく学生は自分の翼で飛行を始めることができるのです。
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